母の波瀾万丈な人生
簡単に書きます。
日本語が出来ない母は仕事に行けませんでした。父だけの収入が頼りでしたが、父はお金を大事にしません。生活費を渡して、残りはパチンコへ。
やっとのこと、私が中学生の頃、母はファミレスの皿洗いを始めました。時間帯は夕方から夜にかけて。私が高校生になってもそのパートは続きました。思春期の私にとって母不在は都合よかったですが、夕飯が冷凍食品だったりしました。
おまけに母のひどい更年期がずっと続き、家の事は長女の私へと負担がかかってきました。
しばらくして突然!自分の店を持ちました。韓国のスナックのお店です。お金の経緯は詳しくわかりませんが、誰かが母に惚れ込んで融資してくれたそうです。スナックのママとしてお店に立ち、あの時代は大繁盛!あっという間に貯金が出来たそうです。
ちなみに父には内緒でした。しかし、いずれ父に店がバレてしまいます。暴力振るう父から救ってくれたのは、お店の常連客でした。母に惚れて助けてくれました。マンションを与えて避難所も作ってくれました。しかし、またまた父にバレます。警察沙汰の喧嘩になり、最後は貯金500万渡して離婚成立しました。それと同時に店を畳みました。
そんな母、今はとても元気なんです。
趣味は多分…パチンコです(笑)